2025.3.27更新

ゼミ総括


 関西学院大学経済学部が毎年出版する『エコノフォーラム』(2025年3月からは「ゼミ総括・卒業論文一覧」)に掲載された、田中ゼミ各学年の総括です。(原稿は、卒業直前にゼミ生が執筆)

Xゼミ(2025年3月卒業)

たなあつゼミという1つの個性

 2年間を共に過ごしたたなあつXゼミ。初の顔合わせの時には「おとなしい、真面目」そんな印象を持ち不安でいっぱいであった。しかし振り返るとそのようなことは全くなく、個性にあふれた素晴らしいゼミだと感じる。誰とでもすぐに打ち解ける人気者、グループ研究を率先してこなす委員長的存在、飲み会で記憶をなくし脱走する者、いじられキャラ、ムードメーカー、、、 以前流行ったMBTI診断でいうと16タイプすべて揃っているかと思うほどの個性の集まりである。そんなXゼミが1つになれたのは田中先生の笑顔があったからだ。飲み会の場でも、研究発表に対してアドバイスをいただくときも、いつも先生は笑顔であった。その笑顔のもとでXゼミは1つの素晴らしいゼミへと成長した。
 ゼミではグループ研究、卒業論文作成、白浜合宿、同志社大学との合同研究発表会、そして飲み会とたくさんのことを経験した。何事にも全力で取り組み、全力で楽しんだ。最後のゼミで先生からかけられた「よく頑張りました。お疲れさま。」 その言葉を聞き、達成感と少しの寂しさを感じた。2年の間、我々を成長させてくれた先生には感謝の思いでいっぱいである。本当にありがとうございました。
 社会人になり、全員がゼミでの経験を活かして活躍するだろう。その姿を数年後、お酒を片手に先生に見せたいものである。

「2024年度ゼミ総括・卒業論文一覧」,2025年3月より。



Wゼミ(2024年3月卒業)

卒業文

 前置きが一切思いつかないので早速本題に入ることとする。
 ゼミ生は一緒にいて本当に心地の良い人達ばかりであった。ただ優しいだけでなく、自分で考え物事を決める強さのある人達だと思う。そんな皆の勤勉さに何度も刺激された。
 私たちのゼミの特徴の一つは活動を自分たちで決められる点だ。最初はこれが非常に不安だった。この不安は完全に杞憂で、皆が3回生の夏に行った東京研修を始めとして様々な活動を企画してくれた。本当に頭が上がらない。
 田中敦先生は穏やかで誠実な人であった。研究発表の際には、必ず良かった点を褒めた後に疑問点や改善点を容赦なく指摘された。決して怖い方ではなかったが、その真っ当な厳格さに惹かれてゼミを選んだことを思い出す。
 もう一つ付け加えるならば、田中先生は本当に楽しそうにお酒を飲まれる。顔を赤くし、ゼミ生と談笑する姿に先生の人の好さを感じた。先生、またいつか一緒に飲み会しましょう。美味しいお酒、探しておきます。
 自分で今回の総括を書くことに立候補したわけだが、先生含め皆の総括も聞いてみたいところである。皆のおかげで2年半、有意義で充実したゼミ生活だった。ありがとうございました。皆の健康と今後の楽しい生活を祈って、ゼミ総括とする。

『エコノフォーラム』,第30号,2024年3月より。



Vゼミ(2021年3月卒業)

笑顔と成長とたなあつと

 田中ゼミは、みんなが常に「笑顔」でした。
 二年生で初めて顔を合わせた時、全員が緊張することなく、一日で仲良くなり、そこからより笑顔が溢れているゼミになっていきました。このゼミの醍醐味は、様々な経験ができることでした。研究やディベート、東京での研修旅行と、たくさんのことを経験しました。確かに、大変で難しいこともたくさんありました。その中でもみんな「笑顔」を忘れることなく、むしろどこかそれを楽しんでいました。そこには笑顔で指導してくださった、たなあつ先生の姿がありました。
 そして、ただ笑顔なだけでなく、スイッチをしっかりと切り替えることのできるゼミに成長していきました。このゼミでの二年半、全員が一回りも二回りも成長し、最初は聞いてもわからなかった、先生の金融ジョークも今は笑えるようになりました! 先生の(恐らく全員が怯えただろう…)笑顔で放たれる鋭い言葉、ゼミ生みんなの豊かな個性や価値観、全てが力になったと思います。このゼミの時間を創り、やさしく見守りながら、ご指導してくださったたなあつには非常に感謝しています!
 このご時世でなかなか集まれないですが、落ち着けば社会人でも集まってお酒飲みましょう!

『エコノフォーラム』,第27号,2021年3月より。



Uゼミ(2020年3月卒業)

たなあつと愉快な仲間たち

 先生や先輩ゼミ生との面接を終え、二回生の秋学期からスタートしたたなあつUゼミ。始めはみんながみんな大人しく、真面目そうな雰囲気に緊張していました。ですが、合宿や社会研修等のイベントを通して知り得た新たな一面も多く、個性あふれる愉快なゼミ生と出会えたたなあつゼミが大好きです!
  新たな一面と言えば先生にも言えることで、普段の講義中も物腰が柔らかく、笑顔の素敵な先生でしたが、大好きなお酒を酌み交わす場面ではさらに笑顔が溢れ、周りにも伝染するほどでした。
  思い出深いのは三回生の夏の東京研修で、日本銀行や国会議事堂など、普段は見学できない機関での学習は、たなあつゼミの醍醐味のひとつでもありました。日頃、新聞などで見聞きする機関の方のお話を伺い、日本経済の根幹となる仕事について学びを深めたことは、大変貴重な経験でした。
 あっという間の二年半で、気づけば私たちUゼミ生も卒業となりました。たなあつゼミでは金融に関する知識から社会人としての振舞い方など、多くを学ばせていただき本当に感謝しています。たなあつゼミ生の名に恥じないよう、一同精進いたします。先生におかれましては、お体にお気をつけてお過ごしください。

『エコノフォーラム』,第26号,2020年3月より。



Tゼミ(2019年3月卒業)

最高の仲間!!最高の先生!!!

 大学2年の秋から始まったゼミ活動。今振り返ると、たなあつゼミに入ることを決めた自分に盛大な拍手を送りたいなと思います! Tゼミメンバー、出会った当初は「おとなしい」イメージでしたが、今となっては、個性豊かなメンバーの集まりだったなと思います。『勉強も遊びも全力で行う!』、このゼミのモットーに恥じぬほど、何事にも全力で取り組んだTゼミでした!
 思い出深いのが、東京研修とグループ研究です。東京研修では、2日間を使い、金融の中心である日本銀行と東京証券取引所を見学させていただきました。社会人になっても滅多に訪れることはできない場所に訪問させていただき、一生の思い出ができたと感じております。そのほかにも、国会にまでお邪魔させていただき感激でした! 夜はもちろんお酒を飲み交わし、勉強も遊びも全力で楽しんだ旅行でした!
 グループ研究では、1年間グループで論文作成を行いました。先生の優しくも厳しい指導のもと、どの班も最終的には論文を完成させたことは今となっては良き思い出です! たなあつゼミでの経験すべてが私たちの思い出であり、社会人になるのに大切なことを学ばせていただいたと思います。
 田中先生! 本当にありがとうございました! またみんなでお酒を飲み交わしましょう!!!

『エコノフォーラム』,第25号,2019年3月より。



Sゼミ(2018年3月卒業)

たなあつと愉快なSゼミ生達

 2年生の時、面接を突破して初めての顔合わせで、私たちはまさにダイバーシティと言っても良いくらい個性豊かなゼミだと感じるくらいの出会いがありました。そして、その生徒を指導するのが常に笑顔で優しいたなあつでした。この先生のモットーは「勉強も遊びも全力で行う!」であり、2種類の笑顔を持っていました。それは、私たちゼミ生を笑顔にしてくれる笑顔、そして私たちゼミ生を苦しめる笑顔でした。  この2年半で、私たちは合宿や飲み会、クリスマスパーティーといった遊びをゼミで多く行ってきました。その時に見せる先生の笑顔は、ゼミ生みんなを笑顔にしてくれました。しかし毎週のゼミで行う研究発表で、先生から笑顔でグサグサと心に突き刺さる程、適格な指摘に私たちは苦しめられてきました。しかし、最後の発表では「いいね!良くここまで頑張ったね!」と述べた先生の笑顔は、ゼミ生全員を自然と笑顔にさせると同時に、大きな達成感と成長を感じさせました。 この2年半、先生の2種類の笑顔と全力の指導によって、ゼミ生全員は大きく成長し、4月から自信をもって社会人になることが出来ます。2年半の間、本当にありがとうございました。

『エコノフォーラム』,第24号,2018年3月より。



Rゼミ(2016年3月卒業)

優しさに溢れた時間

 「私たちのゼミにはいつも優しさ溢れる先生がいた」。これがRゼミで過ごしてきて思うことではないだろうか。
 二年次、ゼミの授業が始まる前にゼミ合宿を開催。いきなりの合宿であったのでゼミ生の不安も大きかった。けれども、先生の優しさが場をなごませ、ゼミ生の距離を近づけてくれた。
 三年次、東京へのゼミ合宿、ビール工場見学、他大学との合同ゼミなど多くのイベントがあり、どのイベントにもカメラを片手に持ち、思い出を写真に残してくれる優しい笑顔の先生がいた。
 四年次、就活も無事も終わり、いよいよ最後の課題、卒論が待っていた。発表を繰り返し行ない、何度も先生は笑顔で指摘してくださった。そこで、私たちは笑顔の怖さを知った。だが、同時にこれは先生のゼミ生に対する優しさなのだと気付けた。なぜなら、就活を通して、指摘してもらうことがどんなにありがたいことかを知ったからである。
 このようにゼミの時間にはいつも優しい先生がおり、そこで社会のマナーやお酒の楽しみ方など多くのことを先生から教わったと思います。だからこそ、たなあつゼミという時間を提供してくれた、先生には感謝の思いしかありません。ありがとうございます。

『エコノフォーラム』,第22号,2016年3月より。



Qゼミ(2015年3月卒業)

2年間ありがとうございました

 2回生の時、たなあつの仏のような笑顔の魅力に引きつけられて集まったQゼミのメンバー。初の顔合わせでは、バラエティ豊かな面々で驚いた。このメンバーでゼミが始まってすぐに行った淡路島での合宿では、牛の乳絞りを機に友情が深まった。3回生になり、ことあるごとに飲み会を行い、笑い騒ぎ楽しんだ。Qゼミメンバーの中で1番飲み会を楽しみにしていたのは、たなあつだったことを忘れてはいけない。そのようなイベントがある度にたなあつはFB記事を更新してくれ、ゼミ生はこの喜びを“いいね!”を押して表現し癒されるのであった。そんな楽しいイベントがある一面、毎週のゼミでは、厳しくも愛のあるアドバイスを頂き、自分の発表の時には、たなあつの笑顔が逆に怖く見え、ゼミ生一同びくびくしながら試行錯誤を繰り返し、研究を進めた。4回生では、卒論に苦しめらたが、なんやかんや全員締め切り当日に間に合った。
 こんな素晴らしいゼミと仲間に出会えたことに、いつも変わらないたなあつスマイルで私たちを見守ってくれたたなあつに、本当に感謝している。2年半本当にありがとうございました! また将来、たなあつと金融ジョークを交わしながらビールを飲みたいものである。

『エコノフォーラム』,第21号,2015年3月より。



Pゼミ(2014年3月卒業)

リア充!たなあつ

 2回生の時、田中先生のあの笑顔の影響であろうか、高い倍率の中選ばれたツワモノ揃いのPゼミメンバー。このメンバーで2年半の間、勉強も遊びも真剣に取り組んできた。金融に関しての知識は、インゼミ大会や合同研究発表会、卒業論文などを通し、先生の金融ジョークを交えた、世界一分かりやすい解説のおかげで、一丁前に「なに?日銀が….」と喋れるぐらいには身についたんじゃないかと思う。ただ、Pゼミの真骨頂はやはり飲み会である。数々の飲み会で標的にされ、基本的に記憶がない私が言うのだから間違いない。特にポーランド学生との飲み会は、彼らの本領を見た気がした。ただし、合宿になると朝まで飲み続け、次の日一番元気なのは我々ではなく毎回たなあつだったことも忘れてはいけない。
 こうしたON・OFFの切り替えがPゼミの良さであり、まさしく「リア充」なゼミであった。こんな素晴らしいゼミに出会えたことに、いつも変わらないたなあつスマイルで僕らを見守ってくれた田中先生に、本当に感謝している。2年半、本当にありがとうございました!!

『エコノフォーラム』,第20号,2014年3月より。



Oゼミ(2013年3月卒業)

笑顔

 笑顔。この言葉がもっとも当てはまるのが我がOゼミではないだろうか。
 2年生の時。約3倍の倍率を突破して、このゼミに入ることができた。この時はみな喜んだが、それは始まりにすぎなかった。先生は笑顔だった。
 3年生の時。先生の厳しくも愛のあるご指導が始まる。発表の前の日は眠れなかった。発表中も先生の顔色をうかがった。発表後は笑顔で怒られた。笑顔の分余計怖かった。ディベート大会ではまさかの敗北。あってはならぬことだった。秋のディベート大会。圧勝した。先生は笑顔だった。
 4年生の時。人生の一大イベントの就職活動が始まった。面接官がやさしく見えたことは先生に感謝したい。就職活動中でもゼミの発表はあった。発表の前日に心折れ次々と辞めていく仲間たち。ゼミでサッカーができなくなり、野球もできなくなり、バレーができる人数でとまった。卓球にならなくてよかったと安堵した。それでも先生は笑顔だった。
 卒業前。残ったのは7人となった。飲み会で予約が不要になった。総裁は白川さんでなく田中先生だと思うようになった。先生は常に笑顔だった。
 我ら7人すばらしいゼミにめぐり合えたことに笑顔で感謝したい。

『エコノフォーラム』,第19号,2013年3月より。



Nゼミ(2012年3月卒業)

たなあつチルドレン

 たなあつゼミの中に「中途半端」という文字はありません。おそらく。
 田中ゼミ生としての二年半、私たちは学びも遊びも「真剣!」でした。
 研究は、それはそれは必死にやりました。サボるとすぐバレますし、やさしい顔してグサッとダメ出しされますから。ついでにコピペ検索ソフトもありますから。
 飲み会も合宿もしっかり参加しました。飲み会の出席率は、おそらくどのゼミにも負けません。ハロウィンともなると、ゼミ生全員本気で仮装です。
 そしてこんな私たちのことを、田中先生は最高のスマイルで見守って下さいました。時にはカメラを右手に(左手にはジョッキで)まるでみんなのお父さんです。良い距離間で、私たちを癒して下さいました。
 田中先生の下で、ゼミ生一同ちょっと大人になりました。人前で自分の考えを話すことが、ちょっと上手になりました。将来に役立つ人としてのマナーも少し身に付きました。期限ギリギリになって焦りながら結局なんとか間に合わせる要領の良さも、ついでに身に付けました。たなあつに、本当に本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
 本気で勉強して、本気で遊んで、まさに青春の日々でした。10年後のたなあつメンバーがもっともっと大きくなりますように。

『エコノフォーラム』,第18号,2012年3月より。



Mゼミ(2011年3月卒業)

金融+ジョーク=たなあつ

 <たなあつゼミ>の門をたたいてからの2年半、僕たちは金融という名の海にどっぷりと浸かった。サブプライム、円高、デフレ・・・目 まぐるしく変化してゆく金融環境のなかで、田中敦教授のもと研究にいそしみ、就活では人生最大の苦労を味わった。でも、どんなに研究に行き詰った時でも、 就活がうまくいかなくて落ち込んでいる時でも、田中先生のスマイルと、どんなことでも金融に結び付けてしまうユーモアたっぷりのジョークに心から救われ た。
 今でも忘れられない先生の格言がある。「結婚なんていうのは、金融と一緒なんだよ。恋愛も金融も、情報の非対称性をゼロにすることはできない。だから、 これだと思ったら行けばいいんだよ。」 この時先生はジョッキ片手に心地よさそうに語っておられたので覚えておられるかどうかは分からない。
 ただ、そんな<たなあつ>が、僕たちは大好きだ。研究活動を通して、社会人一歩手前の学生が心得るべきマナーも学ばせてもらえた。< たなあつゼミ>で全部やり切れたと思えるから、このままずっと学生でいたいなんていう甘えも払拭できる。<たなあつイズム>は、先輩か ら僕たちへ、そして後輩へと間違いなく受け継がれている。たなあつゼミよ、永遠なれ! 田中先生、本当にありがとうございました。

『エコノフォーラム』,第17号,2011年3月より。



Lゼミ(2010年3月卒業)

素晴らしきLの世界

 たなあつゼミに入って良かったと心から思っている。

 田中敦教授指導の下で金融を学んだ2年半、折しもサブプライムローン問題やリーマンショックが起こる、まさに激動の時代であった。そんな刻一刻と変わり続ける金融の渦に飲み込まれそうになる時、いつも先生は分かりやすい解説と素敵なジョークを駆使して僕たちを救い出してくれた。そうして先生の手を借りてコツコツと情報生産を重ねたことにより、今では新聞を読んでも「フムフム、日銀が…」と少しは偉そうなことが言えるまでに成長することができたのである。長い間僕たちを育ててくれた先生、感謝の気持ちでいっぱいです。
 そして語らずに終われないのが、素晴らしい仲間たちとの思い出である。ディベートや研究発表に向けて一緒に勉強したこと、スポーツ大会などみんなでワイワイ遊んだこと、そして何といってもゼミコンでの大騒ぎ! とにかくやたらと飲み会の多いゼミだった。でも僕は、みんな好き勝手に騒いでいるあのユル〜い感じが、とても好きだった。先生、みんな、景気が良くなったらまた飲みに行きましょう。

 100年に一度の出会い。プライスレス。

『エコノフォーラム』,第16号,2010年3月より



Kゼミ(2009年3月卒業)

たなあつ>金融

 卒業を前にして2年半の学生生活を共に過ごしたKゼミを私の勝手な解釈で表現させてもらうと『強烈な個性の集まり』となる。常にリーダーの役割を担う者、生粋のムードメーカー、どんな課題も難なくこなす手本のような存在、口から生まれてきたのかと思ってしまう程のおしゃべり好き、一芸に秀でた者、無礼講の席で羽目を外す者、自由人etc、本当に1つのゼミに様々な個性が集まっており、「みんなは本当に金融について興味を持っていたのだろうか?」と疑問に感じることもある。
 そんな我々に共通して言えるのは、『田中敦』という人間に惚れこんでいる、ということだ。人懐っこい笑顔で、聞く人を引き込む独特の喋り口調で金融について無邪気に語る田中教授から金融を学びたいと考えた集団こそKゼミメンバーなのだろう。このメンバーならばたとえ金融を学ぶゼミでなくとも田中教授の下に集まったのではないか、と感じてしまう。同時に、そう思える仲間を作れたことに感謝せずにはいられない。

 最後に…Kゼミの居心地の良さを名残惜しく感じますが、10年・20年後に『たなあつイズム』を継承した29名が成長した姿で先生にお会いできる日が本当に楽しみです。

『エコノフォーラム』,第15号,2009年3月より



Jゼミ(2005年3月卒業)

奇跡の軌跡‐J semi verion‐

 何らかの巡り合わせにより引き寄せられた、Jゼミ。時間が戻ったとしても “あの軌跡”を描き“この自分”に成れるかな。だからこそ“この奇跡”大切にしたい。
【2年】合宿、三田にて。大人しい雰囲気。でもお酒は不思議です(笑)。その後、学内ディベート。パトス・ロゴスを用い、相手を静かにする力?発見しました。
【3年】旅行、城の崎にて。外湯巡りや地ビール、癒しの本髄、感じました。見学ツアー(大証・日銀本店・東証等)。実際の金融街、触れました。秋学期。学内・京大・同大とのディベートや研究発表。過密スケジュールでしたが、それでこその専門的知識、仲間の結束、成し遂げる達成感、味わいました。
【4年】就職、それ以外に自分の姿を求めるもの、ゼミを飛び出したもの、いろいろですが、輝いているみんなだから、自信ある選択、したはず。
 これからも己の『誠』を信じ、それぞれの道、進もう。そして“誠にナイス”な道、辿ろう♪田中敦先生、ありがとうございました。
参考文献:三谷幸喜(2004)『大河ドラマ-新撰組-』、日本放送協会(注1)。
(注1)文献ではなく、テレビ放映です。

『エコノフォーラム』,第11号,2005年3月より



Iゼミ(2004年3月卒業)

勉強と遊びの違い?

 いちコンパ委員である私がスペシャリストの集う田中敦ゼミを代表して2年半の活動を述べたいと思う。何のスペシャリストかって?当然「勉強」と「遊び」でしょう。
 まず、三田でのゼミ合宿。なんと現地集合、道を間違えながらも到着するやいなや勉強開始。夜の飲み会ではほぼ初顔合わせに近いので硬い雰囲気でスタートだったが…わずか5分で皆豹変、宴会騒ぎだ。お酒は恐ろしい、泥酔して眠り終了。忘れてはならない根岸ゼミと合同の「トヨタ旅行」ではなんとバスの中からすでに宴会騒ぎ、ゼミ合宿の飲み会の惨状が頭をよぎる、夜の飲み会が恐ろしい。夜は最初から皆アクセル全開、結果はやはり…ゼミ合宿の時と以下同文だ。その他スポーツ大会や工場見学(当然酒造工場ね)などもあったが字数の都合により泣く泣く省略。
 勉強が無いって? いやいや、勉強もしましたよ。ゼミ恒例のディベートには特に力を入れた。学内対抗、京都大学との合同ディベートなど…。このディベートの準備の為何度涙で枕を濡らしたことか…。しかしこの勉強は個々の成長に、そして後の卒論テーマに大いに役立った。もちろん、ディベートなど行事が終わるごとに我々が夜の街に繰り出したのは言うまでもない。
 このように我がゼミは飲み会の印象が強いが(私よりコンパ委員みたいな人は先生を筆頭に多数いるのだ)正直勉強・遊びともに充実した2年半だったと思う。まったくスローガン「文武両道」とはうまく言ったものだ。

『エコノフォーラム』,第10号,2004年3月より



Hゼミ(2003年3月卒業)

リスペクトたなあつ

 「勉強の後は飲む!」がモットーの私達Hゼミ。野球・サッカー大会、ディベート大会、神戸大との発表会、手形交換所・トヨタ自動車工場・アサヒビール工場の見学、千刈合宿、京都合宿、そして年がら年中のゼミコンパ。勉強と遊びにいつも120%のHゼミ生でした。しかし、なぜかいつも勉強の中身よりも、レジュメの表紙やディベート大会・発表会のユニフォーム(ユニクロのフリース、スーツ、JR西日本の制服etc.)に力を入れてたっけ……。「学ぶ!遊ぶ!飲む!歌う!投げる!」を実践してきたこの2年半、とても盛り上がったね。こんなやんちゃなHゼミ生も、たなあつ先生の若さには勝てません。先生、今度は社会人として一緒に飲みに行きましょうね♪

『エコノフォーラム』,第9号,2003年3月より



Gゼミ(2002年3月卒業)

僕らは気付いた

1999年7月。初顔合わせ。やさしい笑顔で僕らを見守るたなあつがいた。
1999年10月。ゼミ合宿。一癖ある連中三田に集まる。各々疲れるまでしゃべり続けてふと気付く。「っていうか、お前ら誰やねん!」 ようやく自己紹介。
2000年1月。初めてのディベート。期限ぎりぎり焦って準備開始。本番当日、当然苦しむディベーター。「そりゃそうやろ!」 ようやく気付いた。コツコツ勉強しなければ。
2000年6月。手形交換所・アサヒビール工場見学。ただ酒が飲めると喜ぶゼミ生。「どっちがメインやねん!」 ようやく再認識。僕らは金融ゼミ。
2000年12月。ディベート大会(京大古川ゼミ、平山ゼミ)準備は万端。何とか勝利。「やればできるやん!」(たなあつ談) ようやく気付いた。僕らも進歩していたということに。
 ゼミ旅行。野球大会。学祭出店。年中ゼミコン。飲んだ、歌った。「接待はばっちりだね!」(たなあつ談) 僕らはもうすぐ社会人。それぞれが別々の道を歩んで行く。ようやく気付いた。君達は掛け替えのない仲間達。
 一緒にいると笑いが絶えなかった。色々な個性があったけど団結した。時には真剣に将来についても語り合った。ずっと気付いていた。このゼミとたなあつが最高だったことに!

『エコノフォーラム』,第8号,2002年3月より



Fゼミ(2001年3月卒業)

文遊両道

 よく学び!よく遊ぶ!これが田中敦ゼミのカラー。それに見事にはまり、できる限り多くの事にチャレンジし続けたのが私達Fゼミ生。野球・サッカー大会、5つのディベート大会、大学祭、原子力発電所・トヨタ自動車工場・手形交換所・貨幣資料館・ビール工場の見学、そして「これでもかぁ!これでもかぁ!」というくらいの飲み会。多忙で充実した2年半を今、私達は終えようとしている。そんな一見、華やかなFゼミも一時期は飲み会の参加率が悪く、あつし教授に『皆さんはゼミ選択の面接のときには「勉強も!遊びも!頑張りまぁす!」と言っておきながら実行できていない。』とお叱りを受けたことがあった。顔は笑っているが、図星である。華やかさの中にも覚悟が必要!華やかさに疲れたら初心に戻る!政治家さんのように言ったことは守る!これがタナアツゼミに2年半在籍した私の格言。

『エコノフォーラム』,第7号,2001年3月より



Eゼミ(2000年3月卒業)

コンパ委員として

 コンパ委員の私がこのような筆をとるのはいささか恐縮であるが、田中敦ゼミの一員として、ゼミのみんなに楽しい、美味しい、時に苦しい(それは飲み過ぎ)お酒の席を提供し続けたことをふまえながら、あっという間に過ぎ去った2年間を振り返りたい。
 まず、ゼミのみんなを初めて知ったゼミ合宿。思い出すのは、ちょっとした勉強とお酒。ほとんど初対面だった我々を友達にしてしまう、お酒の凄さを再認識する。その後、野球大会やサッカー大会が行なわれる。準優勝した野球大会のあとのビールの味を思い出す。ふっと息を休めるまもなく、ディベートの嵐。他大学、他ゼミとの討論大会が続く。これに備えるため、眠れない夜も続いた。しかし、この時の勉強は自分が何に興味があるかなどを発見させてくれるし、卒論にも役立ったと思う。もちろん、激しい討論のあとは、楽しいお酒の席を笑顔で提供。
 このように、コンパ委員という役柄で、お酒の席を提供してきた私だが、一番楽しんでいたのは自分自身かもしれない。「文武両道」、よくスローガンに挙げられるが、これほどよく学び、よく動き、よく遊ぶゼミも珍しい。

『エコノフォーラム』,第6号,2000年3月より



Dゼミ(1999年3月卒業)

最強の武闘派ゼミ・Dゼミ!!

 我々第4期田中敦ゼミ(通称Dゼミ)は、体の隅々までふれあうことで一致団結した戦闘のプロ集団である。豊満な肉体を惜しげもなく披露する女生徒、自らの武器と武勇伝を誇示するかのようにひけらかす野武士たちが、「あつし」と呼ばれる一人の漢を頭領として日々戦闘を繰り返してきた。
 軟式野球大会においては持て余す限りの「体力」を発し、優勝という敦ゼミ始まって以来の快挙を成し遂げた。また、名古屋大学との合同ゼミでは、勉強面での比較的不利を察しながらも口先だけでのマジックで相手をひるませるという「知性」を修得し、みそカツと同時に名大女子の味をも合同コンパで知った。金融ゼミとして訪れた手形交換所・証券取引所においては、経済の流れを肌から体験すると共に、その難しさから現実逃避するが如くコンパではじけた。トヨタ工場見学では、金融ゼミでありながら興味対象の大切さを知った。
 このように、金融というすばらしい経済の軸と人生のしたたかさを教えてくださった頭領・敦先生には、我々が卒業してからも是非コンパにご参加していただくと共に、これからも我々の手本となる最高の武闘家であり続けてください。

『エコノフォーラム』,第5号,1999年3月より



Cゼミ(1998年3月卒業)

CゼミのCって、コンパのC?

 田中敦Cゼミ生として卒業するにあたって、私は、とあるゼミ生の言葉を思い出した。
  「あつし(先生)だけでもゼミの奴らだけでもあかんねん。」
 これは「何でうちのゼミっておもしろいんやろう?」という私の問いに対する返事である。田中敦先生だからこそ、みんなこのゼミを選択したのだろうし、集まってきたみんながあまりにもおもしろいので、先生もやる気になって下さったのだろうということらしい。
 先生のやる気のおかげで、この2年間、超多忙なゼミだった。合宿(コンパ)、合同ゼミ(合同コンパ)、サッカー大会(コンパ)、ソフトボール大会・・・。
 私たちは、田中敦という1人の key man を通して、経済・金融の知識と考察力のみならず、パワフルで、おしゃべりで、頭の切れる友人を手に入れた。Cゼミのみんな、この重要な財産をこれからも大切にしていこう。そして先生、40になっても50になっても60になっても70になってもみんなから『敦』と呼ばれる先生であり続けて下さい。

『エコノフォーラム』,第3号,1998年3月より